衣笠山公園の歴史-1

 明治38年(1905)1月2日の旅順陥落による日露戦争勝利を祝って、不入斗では提灯行列が行われました。その後、衣笠山(鞍掛山)に日露戦争の戦没者を慰霊する忠魂碑を建立し、さらに桜を植樹し整備後の明治40年(1907)4月18日に衣笠公園として開園しました。
 衣笠公園から衣笠山公園と改称したのは昭和34年(1959)4月1日になります。これは昭和34年4月1日付の都市公園公告、市報号外(3)告示第18号により「衣笠山公園」として供用を開始していることからです。
 衣笠公園は歴史のある公園で浦賀園(現:愛宕山公園)に次ぐ古い公園であり、現在の公園種別は「風致公園」、標高134m、継承の森に位置しています。

 現在は自然豊かな 自然公園として親しまれており、毎年桜の咲く季節には「桜まつり」が開催され、大変な賑わいをみせています。
 桜の名所として平成2年(1990)3月1日には「さくら日本100選」に、さらに平成6年(1994)1月には「かながわの花の名所100選」に選出され、春に咲く2,000本余りの "桜" と秋の "萩" 1,000株は必見の価値があります。また、手入れの行きとどいた園内には、季節ごとに彩られる山野草も来園者の注目の的となっていて、特に桜の成育については衣笠山桜守会が公園スタッフと協働し保護活動に取り組んでいます。
 園内の施設としては、管理事務所、展望塔、上の広場、下の広場、わんぱくの森、ホタルの里、わんぱくの水辺、調整池(若芽堰)、遊具、屋外トイレ、無料駐車場15台等があります。
 園外施設としては、登り口左手には明治40年開園を記念した「衣笠公園」奉納者相模運輸㈱創業者「川井嘉蔵」作者は臨済宗禅僧平松亮卿 「鎭南謹書」と刻字された石柱が見られ、さらに登りきると大正5年(1916)9月他村社合祀創建された衣笠神社が鎮座しています。

その他、衣笠山公園に見られる記念碑等は次のとおりです。

設置場所 記念碑・工作物の名称
公園登り口左手 衣笠公園 鎭南謹書 石柱 (写真①)
公園入口左手 衣笠神社 (写真②)
公園入口 御影石造り「衣笠公園名」銘石
「西田明則君之碑」記念碑 (写真③)『東京湾の海堡建設に尽力した業績』
管理事務所廻り 八重桜植樹石碑(写真④)
萩の句石碑(写真⑤)
松尾芭蕉作『しら露もこぼさぬ萩のうねり哉』
下の広場 忠犬タマ公石碑 (写真⑥)『新潟県五泉市の飼犬で雪崩にあった主人を二度も助けた』
従五位小川君石碑 (写真⑦)『三浦郡長小川茂周の地方行政に尽力した業績』
市制施行100周年記念植樹の碑(木製)
市制行政70周年記念事業横須賀風物100選説明板 (写真⑧)
上の広場
展望台上(旧衣笠公園忠魂碑)
三浦半島戦没者慰霊物『衣笠聖観世音』が祀られている慰霊のための忠魂碑は、不入斗の陸軍重砲兵連隊が馬と人力で運び上げた大砲の長く大きな砲身を使用した。
戦後の昭和23年10月に撤去されたが、台座は残され、昭和25年にその台座の上に観桜台が建てられ今日に至る。
展望塔 日本さくらの会 さくら植樹記念碑
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①衣笠公園 鎭南謹書 石柱
(公園登り口左手)
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②衣笠神社
(公園入口左手)
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③「西田明則君之碑」記念碑
(公園入口)
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④八重桜植樹石碑
(管理事務所廻り)
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⑤萩の句碑
(管理事務所廻り)
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⑥忠犬タマ公石碑
(下の広場)
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⑦従五位小川君石碑
(下の広場)
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⑧横須賀風物100選説明版
(下の広場)